やることがなくなると心が苦しくなるということがありますから、患者さんに少しは何かやることを残しておいてあげるということも必要ではないかと思います。
それから確かに家族生活はうまくいっているかもしれませんが、この患者さんの場合は、生き甲斐の苦しさかなという気もします。
発表者 全身倦怠感とか重苦しさが続いていて、その苦しさを、ご自分で原因はわかっていたと思うのですが、何度も説明しました。わかっていたと思うのですがそれをまた看護婦、医師に繰り返し繰り返し質問を投げかけて、私たちがときおり困った表情とか答えられる範囲で答えたりとか、そういうことを繰り返していく中で、ご自分が徐々に理解して、その時間を共有するということが大事ではないかと私たちは話し合いました。その苦しみに対してモルヒネをもっと増量したらいいのではないかとか、鎮静をかけたらいいのではないかとか、そういうことを話し合ったのですけれども、薬を増やすことよりコミュニケーションをとること、時間を共有することが大切ではないかということでケアしてきました。
−この方は深い印象に残っている患者でありまして、入院当初は恐怖感に塵われて肉体的痛みより心の痛みで眠れない、朝、目が覚めたら怖いというたいへん心の痛みをもった方でした。私は最初に2時間ほどこの方のこれまでの事情を聞きました。そしたら結局死にたくないということなんですね。まだ53歳で若いのにと……。その心の痛みが肉体の痛みを越えて精神的不安に身震いするほどの日々を送っていたのです。この方はキリスト教の信者ではなかったのですけれども、人間誕生から死ぬまでの神の摂理のお話をいたしました。3回か4回話しました。そしたらちょうど死ぬ1週間前ほどにもう一度話を聞かせてほしいとチャプレンの部屋に入ってきたのです。その後は心の痛みは忘れて、肉体の痛みだけになったということを聞きまして、私は最後は魂の平安を与えられてこの世を去ったと信じております。
Andrew 今のケースはすばらしい治療が行われたケースだと私は思いました。この患者さんは非常に不快感を伴うさまざまな症状があったのですが、治療可能な症状については治療を行い、心それからスピリチュアルな痛み苦しみについてもできるだけ和らげてあげようという努力が払われた。これ以上付け加えることはありません。
〔症例7〕
本人の意志を確認できない経管栄養のケース
亀田総合病院
●H.N.、77歳、女性。左内頸動脈閉塞症、下肢閉塞動脈硬化症、糖尿病
臨終経過
平成4年9月発症の左内頸動脈閉塞症の患者。発症後、意識障書著明なため、一時、経鼻胃管による経管栄養となり平成4年より経管栄養を施行され、在宅療養となる。在宅療養開始後、時折発語が見られ、流動物の経口摂取が可能なほどに改善したが、徐々に意識状態は悪化。再び、経鼻胃管による経管栄養が再開されている。現在は上下肢とも拘縮著明で、呼名に対し開眼する程度である。平成6年12月、右母趾に壊死が出現し、入院。閉塞性動脈硬化症との診断であったが患者の状態を考え特に外科的な処置はせず、保存的に加療。現在、右母趾〜第3趾がdry gangreneとなっているが足背動脈等は現在触知可能となっており、状態は落ち着いている。また、夫が下肢のROM訓練を行っていたところ、左大腿骨を骨折。外固定のみにて保存的に加療。現在は偽関節状態となっている。
問題点
重症脳血管障害の患者さんに対する経管栄養は日本では日常的に行われている。また、いったん始めてしまうとそれを中止するということは、家族にとっても医療従事者にとっても非常に精神的なストレスとなり、なかなか中止できない。しかし、現実にはこの症例のように、重度の脳血管障害をもつ患者に経管栄養を施行した場合、一時的な状態の改善はあったとしても、数年後には関節拘縮、尿路感染、肺炎、深部静脈血栓、閉塞性動脈硬化症等の合併症を引き起こし、家族は疲弊し、患者さんも悲惨な状態に陥ってしまうということが稀ではない。
前ページ 目次へ 次ページ